2003年11月9日日曜日

NO.9・2003/NOV/9th〜素敵な宿とナイスな日本人


『さかちーのアメリカ旅行記 2003』酒井ちふみが再び単身渡米した際のあれやこれやを綴った旅行記
写真:ナイスなジャパニーズとお別れの朝

そろそろ民宿に帰って、チェックインしても良さそうだと思い、民宿の前に立つ。
つくづく『これじゃ誰にも民宿だって分からないよ』と思う。

レーンさんが出て来る。さっき来た時は、暗くて陰気くさくて、失敗かも!なんて思ってたのにお日さまがすっかり空の上であくびしてるような晴天になって、古い建物の中にも日がさしてその景色も違って見えた。それでもちょっと不安でロビーのソファーに落ち着かなく座っているとなんと、アジア人のお兄さんがギターを片手に歩いてる(笑)。そして近づいて来た。

『日本人の方ですぅ?』『ハイ、今着いたんです』
『僕達4人で上に泊まっているんで良かったら遊びに来て下さい』

救われた‥(笑)。神様有難う〜〜〜〜〜!!ほんと、光りが見えたよ(笑)!!

東京から来ているこうた君、しまちゃん、わかちゃん、さんちゃんの4人組だった。

わかちゃんが降りて来た、話しかけて来た。
『ここホントいいよね〜。』(笑)。

言葉が通じ合うって良いもんだ、『そうなのねん、やっぱ、そうなのねん!!』と心の中で相づちを打つ。あたしゃ間違って無かったのよ!!

レーンさんが来て、部屋に案内してくれた。素晴らしかった‥‥。

私が泊まった民宿は、harlem flophouse と言います。1階にレーンさんが住んでます。2、3階が民宿です、向こうでは、B&Bと言います、近くにデリもあるし、目抜き通りの125丁目からもすぐです、ハーレム観光にもばっちりです。お薦めです。

NO.8・2003/NOV/9th〜へこんだ編


『さかちーのアメリカ旅行記 2003』酒井ちふみが再び単身渡米した際のあれやこれやを綴った旅行記
写真:やっとの思いでたどり着いた宿のロビー、半泣きで立ち尽くしていました

ミッドタウンのホステルを朝早くチェック・アウトして、ハーレムのゴスペルを聴きに行きたかった。移動はバスが好きだ。地下鉄は何か憂鬱だし、潜って上がって邪魔くさい。

朝食を食べに近くのデリへ出かける、まだ薄暗い街がだんだん輝いて行くのを見ながらベーコン&エッグとベ−グルを食べた。ホステルに戻ると、私の時計の針が1時間遅れていた。びっくりして急いで準備してチェック・アウトする。

3rd Avenueを北に上がるバスでハーレムへ行ける。ハーレムの民宿にそれ以降5日間泊まるのだ。その民宿がなかなかにいかしてて、お薦めの教会へ案内してくれてると言うので、私は張り切った。

バスで60丁目分ほど北上する、確かに100丁目を過ぎた辺りから少し町並みが変わる。ハーレムだ。バスは家族連れが一組乗っているだけで、日曜のおだやかなバスって感じだったでも、私は、またもや失敗していた。トークン代わりのカードを持っていなかったのだ。現金での支払いは無理だった、気付いて車掌さんに事情を説明すると、じゃぁもう払わなくて良いよと優しくしてくれた。安心してサンキューを連発して気を良くしてバスを降りた。そしてまた失敗に気付いた、そこは降りるはずのバス停ではなかった、、、、(苦笑)。

セントラルパークの横幅分(分かりにくぅ、、、)以上、ごろごろスーツケースを引っ張ってハーレムの目抜き通り125丁目を西へと向かう。黒い車が何台も何台もクラクション鳴らして怒鳴りながら近づいてくる、恐い、道に人はほとんどいない、いるとしたら道に暮らすおじさんだけでごみは散らかってるし、女の人もいない、日本人なんかいるはずもないし、店も全部閉まっている。

日曜のハーレムの朝、ここまで閑散としているとは思っていなかった。後で分かった事だが、ハーレムにはイエローキャブ(黄色のタクシー)は走っていない。黒いハイヤーがタクシーなのだ。ちゃんとガイドブックを読めば分かった事だったけど、けちって2000年版しか持ってなかった、これは全部に言える事だけど、同時多発テロ以降さまざまな変化が起きているニューヨークだけに、古いガイドブックは何の役にも立たなかった。

走った、走った。スーツケースにまとわりつくゴミなんか気にする余裕無しだった。

もうよく覚えてないけど、なんとか民宿の前に辿り着いた。ほんとの一般家庭と思われる建物に一枚のプレートが貼っつけてあるだけで、民宿には見えなかった、横の家は玄関が全面セメントで被われていて、そこにスプレーの落書きは派手にしてあり、私は何だか凄く不安になって来た。ネットのページと、そこに泊まった人の書き込みを馬鹿正直に信用してここに決めたのは正解だったろうか?と恐くなって来た、、、、。恐る恐るベルを鳴らす。

男の人が出て来た、宿主のレーンさんだ。『予約してたちふみです』と告げると『どうしてこんなに早く来たんだ???』と尋ねられた。そうだ、少し早めにハーレムに入って、露天の店でショッピングしたり、ハーレム博物館を見たりしようと思ってたのだ。
でも全部閉まっていて、人も誰もいないし、そんな雰囲気なんかこれっぽっちも無かった。でも、それを説明する英語力がさらに無い!ソーリーを連発して謝った。

とりあえず中に入って、スーツケースを置いて、ベッドメイクが済むまで、何処かで時間をつぶす事になった。行きたい所なんかもう無いのだけど、やたら早くチェックインした気まずさも有り外に出た、空いている店は、マクドナルドだけだった。黒人のおじいちゃんに囲まれつつ珈琲を飲む。おばあちゃんが相席して良いかと尋ねて来たので、どうぞと言った。

来ている人のほとんどがおじいちゃんだ、何組か家族連れもいた、子供を叱るお母さんの声が耳につく。私は激しく落ち込んでいた。もう泣きたかった。全部をハーレムのせいにして、もう今日チェックアウトしたい、ミッドタウンのホステルに帰りたいと思った。

ぼんやりと相席のおばあちゃんが読んでいる新聞に目をやる。おばあちゃんの手と新聞だけが見える、そして気付いた。

時計の時間がはるかに私のものより遅れていた。

私の時計は11時まわっているのにおばあちゃんの時計は、なんと9時40分。

『‥‥。』

〜あちゃ〜。またやってしまった、私の時計は間違ってたんだ。〜

すべてがつじつまがあった。ハーレム中のお店が何処も開いていない事、人通りが無い事やたら黒いハイヤーが多い事、宿主のレーンさんの本当に不思議そうな顔。

今回腕時計を持って行くのを忘れてしまった。だから時計を見る度、鞄から目覚まし時計を引っぱり出していた(苦笑)その時に変に触ったのかもしれないし、ホステルで時間を合わせた時にミスったのかもしれない、どちらにせよ、理由が分かって、私は本当に安心した。じわ〜っと、何か解けて行くよな気がした。

『ハーレムも捨てたもんじゃ無いぜ!』

それどころか、本当に素敵な時間を過ごす事になるのです、とても好きな宿だったんです。

2003年11月8日土曜日

NO.7・2003/NOV/8th〜頑張っている友人編


『さかちーのアメリカ旅行記 2003』酒井ちふみが再び単身渡米した際のあれやこれやを綴った旅行記
写真:朝のセントラルパーク、ニューヨークを美しいと思わせてくれる瞬間

8日土曜日、朝からコイン・ランドリーで洗濯する。結構時間かかるよね〜。でもその間、そこに集まる人の人間模様を見るのも結構おもしろかった。使い方がよく分からないさかち−に、優しい人が色々教えてくれる。椅子に座って乾燥機の終了のブザーを待っている私は、どんな風に映ってたかしら。

洗濯を終えて、ニューヨーク在住の知り合いに会いに行く。ひとりは録音のエンジニアさん。そしてもうひとりは、以前ライブでデュオしてくれたピアニストで留学中の牧さん、土曜日はそんな日になった。

アメリカという社会の中で自分を試している人達。表情1つ、言葉1つが、今のその人を充分に語る。

人生も音楽も一緒で、どの水にまみれるかって大事な事だ。よどんだ水に足をとられるか。流れの速い澄んだ水を泳ぎ切るか。どうなるかわからないけど、挑戦するしかないんだよね。

からだ1つで挑戦している人達、だからこそ何の言い訳もなく、その体に宿るパワーがすべてだ。それは分かりやすくて、親しみやすいものだ、愛すべきパワーだった。素直さだと思った。

NO.6・2003/NOV/8th〜チョー寂しいホステル

『さかちーのアメリカ旅行記 2003』酒井ちふみが再び単身渡米した際のあれやこれやを綴った旅行記

57丁目にあるホステル JAZZ ON THE TOWN に私は泊まっていた。ここは HABITAT HOTELと同じ建物内にあり、階毎に設備が異なっていて、バス付きプライベートルームもあれば、私が泊まっていた相部屋も有る。この HABITAT HOTELは前回最終日に泊まっていたホテルで馴染みが有った。でも改装して凄い綺麗になってた(玄関だけ)。ロビーの真正面には、クラブみたいなのも出来てて、そこにお洒落して立ち寄るニューヨーカー達と、激安旅行に命を燃やすバックパッカー達が同じエレベーターに乗り込む様は、ちょっとへんてこな感じだ。

1人旅は各地での出会いもその醍醐味のひとつ。そんな訳でルームメイト達との出会いに期待してここに決めたのに、少しホステルにしてはお高めのその部屋に予約を入れていたのは私だけで、4人部屋に結局私1人泊まるはめになった(笑)。もっと安い部屋(6、8人相部屋)には団体の高校生が宿泊していて、修学旅行のような楽し気にはしゃぐ声が聞こえて来る中、寂しかったよ〜、2段ベッドの上に1人で寝るのは(苦笑)。

場所はチョー便利で、ほったらかしで安全で、比較的きれいで良いんだけど、ホステルなのにキッチンがないのはがっかりだったなぁ。でも、屋上がテラスになってて、天気が良ければムチャ気持ち良いのよ。ネットで申し込めるのも便利だし、また興味ある人はHPのぞいてみて。

2003年11月7日金曜日

NO.5・2003/NOV/7th〜Lickey Lee Jones

リッキー・リー・ジョーンズのライブをニューヨークで見れる事が分かったのは、出発2週間前だったかしら。今回の旅の大きな目的にもなったのだけれど、その期待を裏切らない素晴らしい内容だった。

旅の3日目、サンフランシスコからニューヨークへ飛行機で移動する。時差が3時間あるので午前中に乗り込んでも到着するのは夕方5時だ、そこから1時間シャトルバスでミッドタウンまで行ってホテルにチェックインして荷物を下ろして、即効8時30分開演の彼女のライブに滑り込む予定だった。

予定通りにバスを降りたのだけど、金曜日のニューヨークの夜、まったくタクシーがつかまらない。3年ぶりのニューヨーク、土地カンが戻らなくて、行く道行く道逆向きの一方通行で、結局30分程スーツケースを手でひいて小走りで15丁目分ほど北へ急ぐ。57丁目のホステルへチェックインして一応ホステルの中をざらっと見て、すぐライブへ向かった。途中、前回夏時間に変更されているのに気付いたダンキンドーナツの横を通る、なつかしい。

意外と簡単に会場のタウンホールを見つける。ネット予約の確認書とクレジットカードで本チケットと交換してくれるのだ。まだ外に沢山の客が溢れている当日券もまだあるようだった。ドリンクバーで生ビールを買う、うまいっ!走り続けてセーターも汗まみれ、喉もからからだった。客層がいい具合にばらばらだ、白い人、黄色い人、黒い人、ティーンエイジャー、年輩の人。これだけ多種多様な人々が集まるのは、やっぱりRLJらしい。嬉しくなった。

私の席は会場の右端、前から7列目ぐらい、ステージが良く見えた。客電がおちてさぁ始まり。

呆気無いくらい簡単に、沢山の共演者と一緒にRLJが手を上げて登場した。この素っ気無さ、かっこいい!RLJが聞き取りにくい英語で『バースデイが。。。』とMCする、すると客席から歌声が沸き上がった、『HAPPY BIRTHDAY TO YOU !!』彼女の誕生日だったんだね(もしくはそれに近かったのでしょうね)!!

ステージには、沢山のメンバーだ、RLJをまん中に半円上に突っ立ている。みんな彼女を見ている。彼女の一挙一動を見逃さないように、その緊張が伝わって来る。みんな複数楽器をやる。コーラスとパーカス、ドラムとパーカス、バイオリンとペット、サックス全種、ピアノとホルン、ギターとビブラホンなどなど。曲ごとに全員がそれらを持ち替え、バンドアンサンブルもあれば、歌と弦楽三重奏だったり、ブラスのソリがあったり、アコギとパーカスだけだったり。懲りに懲りまくってる、彼女のフォークという音楽の背景をベースにして、色んな角度から光をあてる感じで、これはPAが相当大変だわと思っていたら、途中ステージ上でかなりハウリングして、RLJが細かく舞台そでのエンジニアに指事を送っていたりするのが見えた。

彼女は真剣だった。昔ジャンキーだった彼女だが、今私の目の前で歌う彼女は立派な親方であり、挑戦し続ける歌い手であり、客席を沸せるエンターテナーだ、堂々と歌い綴る。

ピアノで弾き語る。素晴らしかった。抑制的で且つハイテンションな歌の連続だった。思わず立ち上がって拍手する。そうする事でより深く彼女の音楽に参加したいと思わせられる。そこにいるみんながそう感じていたと思う。声をあげてわんわん泣きたくなった。

彼女は今強力なブッシュ批判をしていると私には感じられる。彼女の最新作の中にある『アグリー・マン』は彼を指しているだろう。
彼女は真剣なんだ、それがそのライブで私が感じた答えだ。ここに、こんな大真面目に意義申し立てをし続ける女がいて、その女を見たいと望む人達がその彼女の文化に触れようと列をなして集まって来た。私もその1人だ。

ライブが終わって、PA卓をのぞきに行った、曲リストが一枚乗っけてあった。一瞬、欲しいと思った。その瞬間、中学生ぐらいの女の子が得意げにそれを拾い上げた。

どうぞ、今日の感動を忘れずにいて欲しいな、私より長く生きるはずの人が手にしてくれて良かったなって思った。

ツアーグッズが飛ぶように売れている横を通り過ぎて、ホステルに帰る。ニューヨーク1日目、上出来だった。

2003年11月6日木曜日

NO.4・2003/NOV/6th〜飛び入り


『さかちーのアメリカ旅行記 2003』酒井ちふみが再び単身渡米した際のあれやこれやを綴った旅行記
写真:たけぞうさん、クリスさんと。サンフランシスコのライブ後のバーにて

朝早く起きて素早く行動するつもりが、やっぱり昼までぐうたらしてしまって、目がさめた、でもここはアメリカ、サンフランシスコ、バークレ〜!たけぞうさん家の素敵なキッチンで珈琲とSourdough(サワドーと呼んでたの)という不思議なパンをいただく。このパンとっても大きくて、とってもねちっこくて、結構すっぱい不思議なパンなのだ。サンフランシスコでは、とってもポピュラーらしい、美味しいの。たけぞうさんのオリジナルソングを聞きながら、色々と話した。そして観光にでた。

サンフランシスコを歩く。かに・えび屋台だらけで、それを蒸している匂いがつんとしてた。ブルースが聞こえて来る、階段を上がってステージを見る。ちっちゃいステージにバンドがのっていた、音楽自体は、ちょっとお土産ライブ的で興味が沸かなかった。雨が降っていて、体が冷えていた。アイリッシュコーヒーの美味しいお店へいく。歴史のある珈琲ショップって、ホント良いよね、また話し込む。

美味しい物を食べようという事になって、シーフードレストランヘ行った。良い店で超満員だった、サンフランシスコは観光都市なんだよなぁって思った。クラムチャウダーと蟹と、パスタと注文したが、パスタの量が凄くて持ち帰ることにする。こういうとこ、アメリカは合理的だよね、日本の気取った店ではそんなのしてくれないもん。

満腹で幸せになって、次に向かったのは、たけぞうさんの音楽仲間のクリスさんが演奏しているレストラン『フィガロ』だった。車をとめようにもなかなか駐車場があかず、ぐるぐる回っているうちになんとか空きを見つける。フィガロに入るが、クリスさんがいない。でも数人のバンドマンがセッティングしている。私が、京都のレストランでライブしているのと何も変わらない。いつもの光景だ。

クリスさんがやっと来た、演奏が始まる。Dr,Key,Bass, Saxの四人だ。そうヴォーカルがいない。1stステージが終わって、メンバーにたけぞうさんが私が歌い手だと紹介してくれた。ヴォーカルがいないし、歌ってごらんと言われて、歌う事にした!!サマータイムとイパネマと上を向いて歩こうをそのまま日本語で歌った。もっと歌いたかったけど(笑)私があんまりジャズのスタンダードを知らないから、それでいっぱいいっぱいだった。お客さんはウェルカムな感じでハッピーで有り難かった。あっという間に時が過ぎる。歌い終わると沢山の拍手をもらった、有難う。

バンドの演奏が終わると、いそいで機材をかたす。ひと段落するとメンバー皆、おっきいピザボックスとサラダボウルを貰っていた。まかない付きという訳だ。それを皆もって帰る。ライブはこれで終わりだ。お疲れ様だ。

前は、アメリカで歌う事なんか想像つかなかったし、だからこそ特別な事のように思っていた。そしてそれを実現したなら、どれだけ凄いだろうと、私自身をどれだけ変える事になるんだろうと期待もしていた。でも、もしかしたらそんな事はどうでもいいのかもと思った。何処で歌っても、歌は歌だ。ただそれだけだ。その体の中で育まれたものが、外に出るだけだ。

時間にしたら、きっと15分あったかないかだったけど、貴重な時間だった。
異国の地で歌う事で、感覚が豊かになって、刺激されて、私なりの答えに辿り着くんだ。
だから次も、必ずニューヨークでも歌おうと思った

2003年11月5日水曜日

NO.3・2003/NOV/5th〜Dr.ジョン

『さかちーのアメリカ旅行記 2003』酒井ちふみが再び単身渡米した際のあれやこれやを綴った旅行記

ドクター・ジョンはニューオリンズのピアノ弾きで歌い手だ。独特のだみ声で歌う。テレビでやってるジャズフェスとか野外のイベントで彼が歌っているのを見た事はあったが生で彼を見るのは初めてだった。一言、良かったぁ(笑)。彼も良かったけど、バンドも良かった。アメリカのバンドマンって、何であんなみんなコーラス上手いんやろうといっつも思う。そのコーラスから逆にヴォーカリストの凄さというのを知ってしまう、彼等以上に歌えるから何か特別なものを持っているからその人はヴォーカリストな訳で。彼等は歌えてコーラスできてかつ、ドラム、ギター、ベースがが弾けて、フットワーク軽いからツアーメンバーな訳で。

場所はオークランドの何とお寿司屋さんだった(!)それが凄い寿司屋なのだっ!まず寿司屋としても非常に規模が大きい、ファミレス以上のキャパを誇るのだが、その横に大阪ブルーノート以上の(雰囲気はそれをもう少しカジュアルにした感じで、丁度エエ感じ!)キャパを持つライブスペースが併設されている、すごすぎ〜〜〜、信じられる??名前はYoshi's。ここぜひ皆さんに行って欲しい(笑)!!ライブチャージも安いよ〜。ステージは70、80分の2ステージ入れ替え制やけど、さかちーは充分満足したよ。
11月のスケジュールにはタック&パティーをはじめ、そうそうたるメンツが名を連ねてました。日曜のお昼には子供達に音楽を楽しむ場所を提供しようと、これまた凄い値段でライブしているのです!

ドクター・ジョンは、私が思っていたよりも、ニューオリンズスタイル以外の音楽もプレーしそうな上手く言えないけど、なんだか”ミュージシャン”って感じがした。色んな音楽の要素を内包しているそんな感じ。そして、杖を持っておどけて出て来る彼はひょうきんなんだけど、凄く真面目な何かを感じた。バンドメンバーの中で目をひいたのは、ギタリストのジョン・フォール。私は彼の事なんて全く知らないし勿論初めてそのプレーに触れたのだけど、いっぺんでファンになってしまった。地味なんだけど、むっちゃ音楽してるねん、絶妙やった、ほんまに!!彼のホームページに行ってみたら、あの笑顔がそのまま載ってて思い出しちゃったよ、この人もやはりニューオリンズ出身らしく、あるレーベルからCDを出している。

一緒にライブを見ていたたけぞうさんも同意見で、いいねぇ、いいねぇって言い合ってライブを見終えた。たけぞうさんのバンド『ZEAUX』のメンバーにもニューオリンズ出身の人がいて、知り合いかもしれないね、なんて言ってたら、ライブ後、そのジョン・フォールさんとお話させてもらえる事になった。たけぞうさんが流暢に英語で話す傍ら、私は何も上手く話せなかった。でも幸せだった。これからニューヨークに向かうと告げると、彼は『僕達もニューヨークでやるよ』って話してくれた。

ニューオリンズかぁ、底はかとなく深いメルティング・ポットなんだ、本当に。その事を痛感させられたなぁ、行って良かったライブだった、たけぞうさん、さんきゅうっ!!

NO.2・2003/NOV/5th 良いひとで良かった!


『さかちーのアメリカ旅行記 2003』酒井ちふみが再び単身渡米した際のあれやこれやを綴った旅行記
写真:バークレー観光中のさかちー、高いなぁ!
サンフランシスコの空港で私を待ってくれてる人がいた、でも上手く捜せず、公衆電話からその人の携帯へ電話する。すぐにつながって、見渡すと私にゆっくり近づいて来る人がいた、たけぞうさんだった。

たけぞうさんとは、初対面だった。けれども、その夜はたけぞうさん宅にお世話になる予定であった(笑)。これについては、日本の私の友人及び知り合いに、相当こっぴどく注意を受けていた。『なぜ、さかちーは見ず知らずのネットで知り合った男の人宅に、女1人で泊まるのか』と(笑)。

たけぞうさんは、京都生まれで、25歳の時にアメリカに渡って以来17年ブルースやR&Bを歌い続けているヴォーカリストでギタリストさんだ。ネットサーフィンしていて、私のHPに辿り着いてから、お互いのCDを交換しあおうと、私の歌にとても興味を持ってくれ、いつか一緒にデュエットできたらなんて事も話に上がっていて、私としても、どうしてこんなに懇意にして下さるのか 、その理由がはっきりとは分からなかった(笑)のだが、出発前に交わしたやり取りの中で、日本人の奥さんがいらっしゃる事が判明、京都に住んでいた頃のたけぞうさんを知る人からの情報でも、そんな人(どんな人やねん!)には思えなかったので決断したのだった、でも内心ちょっと不安だった。でも、私の歌に興味を持ってくれた人を信じたいという気持ちが、私をサンフランシスコまで向かわせた。

写真で見るより細い線の男の人だった、綺麗な顔だちをされていて、荷物を持って下さって車まで案内してくれた。心配性の私の友人が車にのる前に、必ず奥さんの話題を出して、夜奥さんが家にいるかどうか聞きなさいと言っていた事を思い出した。聞いてみた。
『御自宅で奥さんにお会いできますか?』
たけぞうさんは、今から思うといつもの喋り方で『彼女ね、今、仕事に行ってて家にいないんだ。その後大学に行って勉強してるから帰って来るのは遅いけどね』と、そそくさと答える。ガガ〜〜〜ン!!これはどうよ、どっちよ、アウトかセーフか!!
聞かずにいたほうが良かったよ(泣)どうしよう〜〜〜〜!!

重い気持ちでたけぞうさん宅へ向かう車の助手席に座る。海沿いの道をすべるように車は進み、すぐにたけぞうさん宅へ到着する。かわいらしいお家で、その壁に奥さまの写真が沢山飾ってある。ちと安心。でも、ここで気を弛めては行けないぞ。『時差ボケで眠たいなら寝てね』というたけぞうさんの言葉も聞かず、観光に出る事にする。

サンフランシスコから少し離れたベイエリアにあるバークリートいう街は、独特にくたびれていて70年代っぽい、なんだかほったらかしのムードのある街だなって思った。歩きながら、たけぞうさんが色々話してくれる、ヒッピーの発祥の地だそうだ、納得。バークレー大学に立ち寄る。映画『ある愛の唄』の舞台なそうな、そういやぁこないだ夜中に見たよな。『愛とは後悔しない事です』っていう台詞が残ってるもん、さかちーの中に。

昔は有名なライブハウスだったブレイクスでハンバーガーを食べる、レストランで真面目にハンバーガー食べる時、やっぱここはアメリカだって感じちゃう。ここにもロバートクレイやらエタジェイムスが来たらしい、今じゃクラブ化してるってさ、何処も同じだ、多分それで良いんだと思う。音楽の話ばかりする、好きなアーティスト、その音楽の色、匂いみたいな事を2人で話す。つくづくそれまで心配していた諸々が取り越し苦労だった事に気付く。Hなひとじゃなかったじゃんっ!!(笑)。

そう確信したら、一気に眠気が襲って来た、CD屋行っても古着屋行っても、ダメ集中出来ない!たけぞうさん宅に戻る事にする、でもその途中に、オークランドで今夜開かれるドクター.ジョンのライブに行けそうだと分かる、嬉しい〜〜〜。到着してCDを交換した、たけぞうさんが大切に聞いてくれる、有難う。Macを借りて私宛のメールをネット上でチェックする。心配ありませんと近しい友人にメールした。母からもメールが来ていた。

『泊めてもらってるタケダさんってだれだったっけ?』

あまりの脳天気ぶりに気が抜けてしまった(笑)、親譲りなのよね、私の性格は、しょうがないか。良いひとで良かったよ、ほんと!!さんきゅ〜、世界のみんな!

思いっきり寝た、起きたらDr.ジョンが待ってるんだもん、なんて幸せなのかしら。

追記)この日記をたけぞうさんに見せた所以下のようなお返事頂きましたぁ!『日記の内容、全然問題ないですよ。おもしろいやん。ただ一か所間違ってる所があります。”ある愛の詩” じゃなくて ” 卒業 ” です。(笑)......話聞いてへんやん。』
間違いです、バークレー大学を舞台にした映画は『卒業』でしたぁ!!

NO.1・2003/NOV/5th〜帰って来れるんかい?


『さかちーのアメリカ旅行記 2003』酒井ちふみが再び単身渡米した際のあれやこれやを綴った旅行記
写真:旅行中『その帽子良いね!』と何度も声かけられました。心強い味方でした。
10日前になんとかサンフランシスコ経由ニューヨーク行きの航空券をHISでゲットして、私のアメリカ旅行はやっと現実味をおびて来た!!といっても関空発は残席がなくてとれなかったので、成田発ユナイテッドでアメリカへ向かう。でも、3年前と違って、私の中にはひとつの覚悟のような物があった、9月11日に起きた同時多発テロはまだ終わっていないと思っていたから、『テロにあって日本に帰って来れないかもなぁ』と思っていた。そんな訳で、たいして写真をとろうというつもりもないのに持参していたデジカメに、両親、姉チャン、姉チャンの子供(甥っこ、姪っこ)の写真を入れて行った。
結局幸運な事に何もなく、無事にこの旅を終える事が出来て、ホント感謝だねぇ。でも、旅行中何度もこの写真を見返したし、現地で知り合った人に、『これが私の家族なの』と写真を見せて色んな話も出来たからこれは良かったなって思った。不思議に何処にいても
その写真を見ると、おだやかな気持ちで優しくなる、気持ちはそこに還っていくなって思った。っていうか、あたしそこしか還る場所ないんやわっていうのも、事実じゃん(笑)!!出発直前まで異常に忙しく、出発2日前『明後日からアメリカ行くねん』と両親に話して怒られたんだったなぁ、ハハ、ゴメンなさいね。

今回ホントに1人旅行だった。といっても現地で暮らしている知り合いがいて、その人達に会う事も目的の1つだった訳だが、日本で私を心配する人が携帯を空港で借りて持っていきなさいと強く言うので、成田で国際携帯を探す。が、『たっか〜い、ばっからしい〜!!』という値段だった為、即断念!でもドコモには結構いいサービスがあって、さすがドコモだなって感心もした。フライトまでにやけに時間があった、携帯に一杯メールが入って来る、ライブの打ち合わせメールやら、いってらっしゃ〜いメールやら、両親から、そして現地であう予定の友人から、いつもさかちーの尻ぬぐい(何とも言えない言葉だが。。。。)をしてくれるYAMAさんが、ニューヨークのギタリスト井上智さんのライブスケジュールをメールしてくれたり、ちょっと寂しい、嬉しい時間だった。でも成田のレストランで食べた食事は今回の旅行中、ナンバー1にまずかった(笑)!!日本かよっ!って、突っ込みたいわホンマ!油ぎとぎとアナゴ天丼にうなされながら、機内へ入った。あ、やっぱ、すっち〜さん外人さんやんと納得!

飛行機が動き出した、ちょっと久々に感じるこの振動。無事にサンフランシスコに辿りつけますように。

サンフランシスコに着いてまず感じたのは、ちっちゃい空港だなぁって事だった。
お天気もどんよりとしていて、殺風景で、ちょっとさびしいくらい。

預けていた荷物を受ける取るまでに時間がかかる。アジア人が話しかけてきた。久々に英語で話す。仕事は何やっているの?と聞かれて、歌い手でインストラクターなのと答える。あぁ、前はそうじゃなかった、この前アメリカに来た時は、まだデパガ(デパートの店員さん)だった。仕事で良く大阪に行くから、君のライブ見に行くよだって(笑)来てくれたら凄いよね(笑)!