2000年5月1日月曜日

#8、〜私がアメリカで聞いた歌〜その3『ティナ・タ−ナ−』〜

『さかちーのアメリカ旅行記 2000』酒井ちふみが単身渡米した際のすったもんだを綴った旅行記

御存知でない方もおられるかしらん?昔、アイク&ティナで歌っていた、そして80年に奇跡の復活を遂げ、その人生が映画化されたティナ・タ−ナ−!!
ティナはねー、たぶん55歳ぐらいです。が、超ミニで彼女の十八番の『原人ダンス』を踊りまくり、クレーンに飛び乗ってはヘッドバッキングまでしていた!!それに、このライブの前座はあのライオネル・リッチー!あくまで前座だったんです。

ティナ&ライオネルと銘打たれたこのライブ、場所はニューヨークのど真ん中、私達が泊まっていたホテル・ペンシルヴァニアの正面、マジソン・スクエア・ガーデン!リッチ−は全身グリーンで登場。あまり上手くないバンドと1時間はやりましたね。『リチ男〜!』とかなり声援とばしてきました(笑)。その後、ティナの登場です。てっきり1曲ぐらいデュエットするのかと思ってましたがそれもなし。ある意味、ティナの知名度の前ではリッチ−も霞むのかも知れません。。

ティナ・ターナーはほんとかっこいいです。こんな55歳が平気で歌ってるもんなー凄い国と思いました。音響がねー、迫力があるんやけど、耳に痛くない!実は、私がアメリカのライブで一番日本と違うと思った点は音響です。日本のライブでぺちゃくちゃしゃべるなんてうるさすぎて無理でしょう、でも、アメリカではしゃべれちゃうしゆっくり音楽も聞ける。なんでなんでしょうねー。ノリ的には、まったくプロ野球のナイターです!!みんな、食べ物飲み物片手にワイワイガヤガヤ。そこに参加している事を楽しむ感じ。30代〜50代の人が主でしたねー。『ええ感じやな〜』と回りを見渡したりして。

『憧れのマジソン・スクエア・ガーデンでこんなハッピーにライブ楽しめるなんて、ほんま幸せや〜!』って、ちょっとウルウルきました。。だって、さかちーの大好きなジョン・レノンがライブをした所だったからです!

#7、〜私がアメリカで聞いた歌〜その2『トレイシー・チャップマン』〜


『さかちーのアメリカ旅行記 2000』酒井ちふみが単身渡米した際のすったもんだを綴った旅行記
写真:ライヴ直後のローズランド・ボールルーム前で。こういう看板ええよね。

『トレイシー・チャップマン』という歌手を御存知か?がっちりした黒人で大地を揺るがすような太ーく深ーい声の女性(!)シンガーソングライターです。

私は、ニューヨークのローズランド・ボールルームとかいう所で、オールスタンディングで見ました。そんなに大きくない会場でしたが、バーが一番ステージから遠い所にあって、みんな飲みながら見れます。しゃべるしゃべる日本だったら、失礼と思われちゃうかもと思うぐらいみんなしゃべる!!それでも、中盤をすぎたあたりから、ゆっくり歌に耳を傾けていきます。

もちろん、トレイシーも素敵だったけれども、お客さんの音楽の楽しみ方が実に素敵で、勘所を逃さないのね、とにかく。さっきまで酔っぱらってた人が気付けば、涙浮かべて聞いてたりという感じで。みんな彼女の歌詞をほんとに愛していて、合唱してたなぁ、簡単でいい歌詞なのです。もう、シンプルとしか言い様の無いステージで、私は来てよかったって思いました。

『ラヴトレイン』という私のオリジナルを尊敬する歌い手さんに聞いてもらった時『あなたトレイシー・チャップマンみたいな歌い手になるのかもね』と言われて、なんか、ガガーンときてしまって、やっぱりずっと持ってたんですね、彼女のファーストアルバムを。だから、『夏のぬけがら』(私の初のアルバムです)を作る時も、そのアルバムをイメージしていました。

もし、興味を持たれた方がいらしたら、彼女のファースト聞いてみて下さい!

〜#6、私がアメリカで聞いた歌〜その1 『グラディス・ナイト』〜

『さかちーのアメリカ旅行記 2000』酒井ちふみが単身渡米した際のすったもんだを綴った旅行記

グラディス・ナイトを御存知ですか?アメリカ・ソウル界の大物、私の大好きな歌い手です。あのアトランタオリンピックで開会式か閉会式か『ジョ−ジア・オン・マイ・マインド』を熱唱した人ですね。1950年代から歌っているので、もう半世紀、すごい〜!

私が見たのは、ニューヨークからバスで3時間ぐらいの町Springfieldのライヴ。寄付関係のライヴだったみたいです。もう60歳を越えてるだろうに、踊って歌って、愛らしい人でした。2階の最前列で$50.-。日本でグラディスを見ようとしたら、この値段では見れません。お客さんは、やっぱり黒人のおっちゃん、おばちゃんが中心です。みんな目一杯おしゃれしてます。宝石ネックレスをじゃらじゃらつけて、派手な眼鏡をして、「 I LOVE GLADYS!! 」その声が大きい、大きい!グラディスはいつもはピップスというコーラス・グループと一緒に歌ってますがこの日はソロ。お客さんがピップスのパートを歌います。あったかいコンサートでした。この人の歌を聞いて、『歌はハートで歌うもの!!』この当たり前の事をかみしめて帰る事になりました。

が、その帰りのバスが超満員で、ニューヨークに夜中1時に着くバスだったのですが出発が30分以上遅れていました。ある黒人男性が乗り込んできたのですが、乗り込んだ瞬間その顔のデカさから(スイマセン。。。)どんだけ大きいねん!!と心で突っ込みたくなる大きさの人で、付け加え、バスで機嫌良く寝ようと特大まくらを背負って入って来たのには笑った。しかし、不運にもバスは満員。どんどん人が入って来て、ただでさえ狭い座席にデカイまくらのせいで超ギューギュー。私の横の兄ちゃんは、ロンドンパンク風の人で、熟睡しだすと、体がブルブル震える人(笑い事やないで!!)で、恐くてさかちーは寝れませんでした。

30分後に出発したバスなのですが、運転手がアナウンスで『30分遅れなので、このバスはニューヨ−クにええと、ええと、、、、、』計算でけへんのかいな!!(笑)バス中、苦笑の笑いで一杯になりました。しかし、彼が思いっきりとばしたお陰でバスは予定時刻に着き、それをアナウンスする時の彼の誇らし気なこと!!

30分遅れだったけど、ちゃんと予定どおり着いたぜ』こんな感じでした。

#5、〜日本より遠いナイアガラ〜


『さかちーのアメリカ旅行記 2000』酒井ちふみが単身渡米した際のすったもんだを綴った旅行記
写真:寒かったなぁ。。大迫力のナイアガラ・フォールズ。とても良い所であった。

ナイアガラの滝がニューヨークからオプショナル・ツアーで行けるの御存知ですか飛行機で行くともう、あっという間に行けちゃいます。が、さかちー達は貧乏旅行、そこをAMTRACK(アムトラック)という電車でいったのです。アメリカは車社会、よって電車の利用客は少なく、日本のように列車は便利な移動手段ではなく乗ってから私もわかったのですが、ず〜っと各駅停車でナイアガラまで行くのでした。。。
と言っても、知らないアメリカの風景を見ながら9時間(!)かかっていくのもよいじゃない朝7時15分発なんだから寝てたらいいのよと飛行機と電車では¥15.000.-ぐらい違っていたので電車で行ったのですね。しかし!新幹線を知ってしまっている私達日本人には、あののろさは堪え難い物がある!移り行く景色を眺めながらと思っていたが、思いっきり丘陵地!なだらかな丘、どこも一緒!
あ、でも、そうそう思い出した(だって、もう1年前)その日は寒波が突然おしよせて雪が降ったんですよ、4月なのに!ちょうどナイアガラのほうから来ていたので、曇りから雨雨から雪、雪から快晴へと天気はめまぐるしく変化していったのです。

ナイアガラには二つ滝があって、アメリカ滝とカナダ滝とあるんですよね。カナダ側から見る方が良いと聞いていたので私達三人はアメリカとカナダの国境をこのアムトラックの中で越える事になった訳です。あの長い車両の中をたった1人の入国審査官が回って1人1人チェックするのです、わざわざ車両を止めなんとのんびりしていることか。。。予定到着時間を過ぎても審査は終わらない
またこの審査官が、かなり、いかつめの特大女性審査官ときた!『この人に迫られたらひとたまりもないなぁ。。。』といらん考えをひた隠しにし無事審査終了、カナダへ入国!電車が走り出し、すぐ停車。『なんで?』

窓を開けてみる。はる〜か後ろの車両に人が乗り込んでいる(車両が長いのですよ、ホント)『駅?』入国してから1つ目の駅がナイアガラ・フォールズのはず、掘っ建て小屋のようなものもあり『まさか!???』私の車両の横にはホームもない、というか電車の5分の1ほどしかホームがない!急いで荷物を積みおろししている係員に聞く『ナイアガラ・フォールズだよ』半分寝ぼけた二人を『着いた、着いた!!』と叩き起こし、スーツケースを持って『後、二人降りるんです、待って〜!!』

着いても、タクシーさえない。『これが、あのナイアガラの駅?』オフシーズンだった事も大きかったんでしょうね、ホテル代も異常に安かったし。アメリカの車社会のすごさを見た感じでした。

#4、〜夏時間に泣かされるの巻〜


『さかちーのアメリカ旅行記 2000』酒井ちふみが単身渡米した際のすったもんだを綴った旅行記
写真:数々の失敗を乗り越え(?)やっと友人2人と合流し綺麗なホテルにてホッと一息つく私。4人相部屋からトリプル・ルームへ。夢の様であった。

君は知っているか?アメリカに夏時間というのがある事を。さかちーは知っていたはずだったのだが、思いっきり忘れていたのです。

要するに何かと申しますと、"daylight saving time-四月の第一日曜日から十月の最終土曜日まで時間が1時間早くなる事"なのです。四月二日、その日はニューヨークからグレイハウンドバスで3時間ほど行った所にある、スプリングフィールドという町で、私の大好きなグラディスナイトがコンサートをする日。スプリングフィールドは田舎町ですので、帰りのバスはコンサートを途中で諦めないと乗れないような時間だったのだけど、どうしてもグラディスが見たい!(それほど素敵なヴォーカリストでした、やはり)さかちーは無理して行く事に決めたのです。

バスの出発時間は2:30。1時間前になって、車中で食べるパンでも買おうとダンキンドーナツへ入った所、時計が既に2:30。「、、、、????」人に聞いても『2:30!』の答え。『ウッッッッッッソ〜!!』とタクシーに乗り込み巨大バスターミナルへ。
しかし、バスは『It's gone』だったのです、、、。

アメリカはええかげんな所がよい国。町の至る所で直っていない時計を見ました。ある時計なんか、直し方まちがってたもん。2:30にしなあかん所を、12:30にしてたもんね。頼りになるのは、自分だけという訳ですな。がんばろ、、、。

#3、〜コインランドリーの巻〜

『さかちーのアメリカ旅行記 2000』酒井ちふみが単身渡米した際のすったもんだを綴った旅行記

前回、変に(!?)好評を博していたこのコーナーですが、今回もということで、、。話しは前後しちゃいます。SUMMER TIMEの始まりの日 APR/2 でございます。みんなはコインランドリーに行った事があるかい?さかちーは無かったのです。厳密に言うと、行った事はあるけど、洗った事は無かったのです。

NYでひとり宿泊していたのは、その名もBIG APPLE HOSTELという4人相部屋に一晩$30.00で泊まれる安ホテルでした。45stのBroadwayと6thAveの間に有り、NYを御存知の方はそのロケーションでその値段と驚かれるかも、、。京都と同じくウナギの寝床状の建物で、あまりに古く最初は『失敗した。。。』と思いました。が、よく見るととても清潔。ただしあまりに古すぎて、わかりにくいのです、その努力のあとが。少ないスタッフで何十室(しかも4人相部屋!)を管理されているので、この時間は掃除するからキッチンは使えないだとか、ルールが沢山あるのですが、一向に説明はしてくれないのです。コインランドリーもそうでした。洗濯物をかばんに詰めて
「コインランドリー使える?」と聞いたら、夕方5時から10時まで!」と言われ
「なぜ説明してくれなかったの?」と聞くと、「僕の責任じゃーないよ」という返事。
「クッソ−!!他に近くにコインランドリーはある?」「10th Aveにあるよ」
これが結構遠い、、、。「そこしか無いの?」「僕はそこしか知らない」
ええい、走って行ったるわい!さかちー走る、走る、到着〜。

すんぐぉい汚い、、、。入ろうか、辞めようか、、、でも明日のパンツないでも汚い、恐い、、。とにかく、そこは汚かったし、ションベン臭いのよとにかく。そんな店なので説明もないし。迷ったが、何ごとも経験よというかパンツ無しはやっぱあかんと思い、いざ突入!「あたしゃ、使い方知らないのよ、おせーて」「クォーター5枚持って来い、後はあのおやじに聞け」

はぁー、外に出て、デリで買いたくも無いものを買い両替えしたクォーターを持っておやじに尋ねた「使い方知りません、おせーてくらさい」このあたりは、私さかちーかなり気落ちしており、「教えて頂けません?」的には話せず、声もちっちゃい。おやじさんは気のいい人でやさしいのだが、スペイン系の人なので英語が英語じゃなくて全然わからんのよ。「サカチーノ、ナニシテルーノ、ワタシオシエルーヨ!」こんな感じ、、。

言われるがままに洗剤を流し込み蓋を閉め、私の洗濯物がぐるぐる回るのを見る、、、。横のお兄ちゃんが「そうそうその調子」みたいな事を言って私を元気づけてくれるが、気分は最高にどん底。とにかく周りの人の出立ちを見ると日本では絶対に一緒に洗濯する事なんてないだろうというホームレス風の人ばっかでその洗濯物となると、部屋のどこにそんだけの物置いてたんや〜という位、莫大なの。乾燥器のせいで、無茶苦茶熱く、あの臭いとがあいまって、くらくら〜。

なんとか乾燥まで終え、店を出た時には、もうぐったり、、。『もう、イヤ〜!!』腹は立つし、情けなくて泣けてくるし、でも一人で落ち込んでもいられん。急に激走したくなった。まだ生暖かい洗濯物を肩にかけすんごいスピードで45 Stを走りまくった。これは自慢じゃないが速かった、、(笑)「あたしだってちゃんとやってけるんだから〜」という感じか、謎行為だった、、。通りにたむろしてる兄ちゃんに『よっ、張り切ってるね』的にからかわれつつ走りまくった。ホテルについて、すぐ日本の友達に電話した。おろおろ泣けてきて、『あたし世間知らずや〜!』と号泣していると、ホテルのスタッフが『そこ退いてくれ。君が立っている所だけ、掃除できない』『、、、』

テレフォンカードを持って、6th Aveと45 Stの交差点まで走ってまた電話をする。アメリカでの失敗、愚行について、ひとしきり話す。

大交差点の真ん中でもうこんな大きな声で泣いたのは久しぶりという声で、『おろろ〜んおろろ〜ん!!』NYを御存知の方なら、そこがどれだけ賑わった所かお分かりだと思います。日曜日で賑わう大通りの真ん中で好きなだけ泣いてる間、そう私のバスは出発しようとしていたのです、SUMMER TIMEのせいで1時間早く、、、。

#2、〜パスポートはあかんやろの巻〜

『さかちーのアメリカ旅行記 2000』酒井ちふみが単身渡米した際のすったもんだを綴った旅行記

もうお気付きでしょうかね、あたくしパスポートを忘れるという失敗を今回してしまったのですね、、、。やってしまった〜!
元々、恐ろしく忘れ物をするんですね、ライヴさせてもらってるラグでも女王と言われておりましたが(笑)、とうとう世界進出してしまいました、ハイ。

絶対無くさないように、首からぶらさげるタイプのポーチをトレーナーの内にしのばせ気をつけていたのですが、これが裏目にでたのですね、ハイ。ニューヨーク到着後、すぐにグレイハウンドというバスで知り合いの家に向かったのですが、このバス会社の係員がいじわるで、そうとうやっつけられまして、知り合いの家について、ホッとしたのでございます、首からぶらさげたパスポートを机の上に置き、貸してくださったバスタオルをその上に、なんと置いてしまい(!)、爆睡しまして翌朝借りた物はすべて机に整頓して置いて、再びボストンに向け、出発してしまったのです!

アムトラックの小さな駅でボストン行の列車は待つ私、パスポートを忘れているとは露知らず。。

気付いたのは列車の中、知り%

#1、お粗末なり、さかちーイングリッシュ


『さかちーのアメリカ旅行記 2000』酒井ちふみが単身渡米した際のすったもんだを綴った旅行記
写真:アメリカの鉄道、アムトラック。かっこいい!

つくづくこの旅行記、出来事が起こった順番通りに書き始めたら良かったナァ。まぁ、いいか、今日はボストンからニューヨークに電車で移動した日の事です。

アムトラックという電車で片道5時間、¥5.000.-で移動しようと、ボストンのアムトラックの駅に朝早く着き、スーツケースを係員に私の電車まで運んでもらおうと受け付けまで行きました。『このスーツケース預けたいのだけど?』と英語で尋ねたのだが、帰ってきた答えが全然わからん、、、。英語なのだが、以上に速く、端々の単語がさっぱりわからん。こんなにわからんって何?

キョトンとしてると、『Do you understand English ? Go to ポーラ、Red cap !』ポーラ!?どこのポーラやねん?『Who is PAULA ?』クソ真面目に聞き返すと彼は絶望的に大きくためいきをつき、『Com'on ,Com'on』と言いながら私を連れ出した行った先は、赤帽のポーターだった!その時、英語の先生から『ボストニアンアクセント(ボストン弁)は強烈だから、聞き取りにくい、Rの発音は抜けて落ちて、速いからね』と言われていたのを思い出した。「あぁ〜、そうか〜」そう分かると、係員のおっちゃんがポーターに話してる言葉が急に聞こえ出した。
『彼女はねー、ほとんど英語がわからんのだよー、どうか彼女によくしてやってくれ。10:30のニューヨーク行きに乗るらしいから、必ずホームまで一緒に行ってやってくれ。20分前には集合させるように。とにかく、彼女は英語がわかってないから、、、、。』これは腹が立つほど良く聞き取れた(笑)!!

『クッソ〜』とは思ったが、いい親父だったので、今度ポーターと話す時は頑張るぞと誓った。電車が入ってきた。ポーターと一緒に乗り込む。彼が私のスーツケースを持ちながら、『??? do you wanna go ?』力の見せ所やーと思ったが、最初の言葉がはっきり聞こえず、go だからwhereかなぁ?

思いっきり元気良く、『To New York !!』と答えた。しかし、よく考えてみればそこはニューヨーク行きの列車の中、、、。彼もキョトン。私もキョトン。彼は低い声でゆーっくり、『オーケー、、、、』ひとりでスーツケースを網棚に積み出した。大きくため息をつき『ここでいいか?』と聞いてきた。『サンキュー、、。』彼を見送り気付いた、『あんたどこに座りたいの?』や〜!!

『さかちーのアメリカ旅行記 2000』酒井ちふみが単身渡米した際のすったもんだを綴った旅行記