2003年5月16日金曜日

2003/05/16

この世の中に、どんな時も自分の味方でいてくれるだろうと信頼できる友人を持っているという人は、幸せな人だ。

そしてその信頼できる友人が、家族であったりしたなら、お母さんであったりしたなら、なんて素敵なんでしょう、心強いでしょう。

大人になるにつれ、お母さんという存在について考えます。大きな存在であるとしか言い様ないよ。

私は小さい頃、朝寝ぼけて、『ここは何処、私は誰?』状態に良く陥っていた。朝起きても、何処だか分からず、初めての場所のように感じて、自分のことを思い出そうとするけど、誰だか分からなくて、しばし呆然としていたらどっか遠くの闇の方から、ゆっくり上がって来る何かがあって、声の塊で
『お母さんの名前は、酒井。。。。。』と告げて来る。

そこから、いつもすべてが分かる
『あぁ、私はお母さんの娘で、ちふみで、お姉ちゃんがいて、今横に寝ているのがお父さんだ』
いったい何歳だったろうか、一度引っ越しして慣れない家に戸惑って、何度か起きた事だったかも知れない。

でも、どうして自分の名前からでなく、お母さんの名前からすべてが分かるのか子供ながらに不思議であった、どうしてそれだけ思い出せるんだろうか。

この話の流れで行くと、父親って甲斐ないよね〜、可哀想(笑)。

愛というものに初めて触れるのも、きっと家族との時間からだと思う。人間の良心、愛、信頼、そういった漠然としたものを信じようとする時、それらを何の見返りも期待せずに分け与えて、分かち合える人間関係があるならすでに体感していたなら、宗教や道徳や常識といった枠で、補強する必要なんてまったくないと思う、きっと、家族でなくても、恋人でも友人でも。

5月11日は、母の日であった、てっきり忘れて歌いほうけていた。
でも、明日何かプレゼントを買いに行こうと思う。リボンをかけてもらおうと思う

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